明治初期は、旧来の教科書と近代教科書がともに利用されており、また両者の融合統一が行われた時代でした。
維新後も江戸時代以来の漢籍や往来物が学校で用いられており、次第に欧米の近代文化を紹介した民間の啓蒙書や翻訳書が加えられていきました。翻訳型の地理教科書や西洋の倫理道徳に関する翻訳書のほかに、当時の理学思想の普及を目指した啓蒙運動を反映して、理科関係の翻訳教科書が多数出版されています。
1871(明治4)年に文部省が、1872(明治5)年に師範学校が創設されると、それぞれが積極的に教科書や掛図の編集を始めました。師範学校では、御雇米人教師スコット(M.M.Scott)を招いて近代教授法や教育課程の移入に努めていたため、アメリカの教科書を輸入し、翻訳して教科書を編集しました。特に、教育課程の基準として多くの府県が師範学校の『小学教則』を採用したため、そこに示された師範学校編集の教科書が全国の小学校に急速に普及したといわれています。
(橋本 美保【はしもと みほ】 | 総合教育科学系 教育学講座教授)