漢字を正しく覚えるために独特の工夫をし、幕末・維新期に至るまで広く普及したものに『小野篁歌字尽』がある。
一方、単漢字から熟語類に学習を進めるにあたって利用されるのが、「名寄型」と呼ばれる一群である。ある特定のテーマに基づいて、単漢字・熟語・成語を配列したもので、人名・官職・動植物・諸品など、さまざまなものがつくられている。その代表か「名頭字」で、「源・平・藤・橘・孫・彦……」など氏名によく使われる漢字を集めたものである。書簡をやり取りする上でも商売をする上でも、相手及び自分の名前を書くことが必要であったために古くから使用された。
『名がしら字/国づくし』(幕末頃刊・中本)は、「名頭字」に国名を集めた「国尽し」をあわせたものである。
『日用重宝萬文字尽』(1806(文化3)年刊・中本)のように、魚類、貝類、鳥類などに部立てしてそれぞれ語句を集めているものも現れた。一般には国名や地名を集めたものを羅列していくような往来物を「地理類」「国尽型」に分類するが、漢字の学習階梯の視点からすると、「名頭字」同様、テーマ別漢字語彙集の類とみなすこともできる。
『江戸方角』(1793(寛政5)年刊・中本)もこういったものの一類である。ただし、末部は「誠日々富貴繁栄而萬歳春不可有際限候恐惶謹言」と、書簡文に近づけようとしているようである。江戸城を中心にして各方角に分けて地名、町名、神社仏閣名などを連ねてゆくもので、江戸の地理とともに文字も学習するものである。これもまた生活を営む上で、江戸及び江戸近郊の人々にとって必須の学習事項であったものと思われる。
このような江戸地誌に関する往来物のうち、「陽春之慶賀珍重々々。富貴万福幸甚々々。……」と新年状の形をとる『江戸往来』(1669(寛文9)年初版・別称『自遣往来』)も広く流布したものの一つである。
内容は江戸に入ってくる各地の名産品、江戸の方角・地名・里程、玉川上水や両国橋のことなどで、様々な物の呼称とともに江戸に関する様々な知識を得るものである。なお、ここに掲げた二冊は、同年同板元から出されたものであるが、片方は無点無訓のいわゆる手本用で、もう一方は読み方のついた読本用と考えられる。これらの地誌的な学習事項は「都路型」の往来に受け継がれる。
『東海道往来』(幕末頃刊・中本)もその一つで「時得て咲や江戸のはな なみ静なる品川や やがてこえくる川崎の……」と「文字ぐさり」で東海道の宿を詠み込んだものである。
その他にも地誌的な教養は、『隅田川往来』『浅草詣文章』など「参詣型」と呼ばれる体裁の往来で盛んに取り上げられた。