『庭訓往来【ていきんおうらい】』は、「往来物」の中でも『商売往来』とならんで最もポピュラーなものですね。
概説的なことは全て事典類に譲りますが、出版された量の多さ、中世から明治初めに至るまで使用された期間の長さ、あらゆる地域、階層を超えた範囲の広さなどの点で、他の「往来物」の追随を許しません。この影響力だけを考えても、教育史的、文化史的な意義があります。
ところが、その中身について、私たちはあまりよく知らないというのが実情ではないでしょうか。今は、『庭訓往来』(東洋文庫242)や、岩波の新日本古典文学大系『庭訓往来/句双子』などで容易に読むことができます。しかし、読んでみてもあまり面白いものではありません。そればかりでなく、いったい何の役に立ったのか首をかしげたくなる記述がほとんどです。
たとえば、冒頭部分は、年頭の挨拶に次いで新春の遊宴に誘うことになっていますが、遊びの内容は、
楊弓[やうきう]・雀小弓[すずめこゆみ]の勝負[しょうぶ]、笠懸[かさかけ]、流鏑[やぶさめ]、小串[こぐし]の会[くわい]、草鹿[くさじし]・円物[まるもの]の遊[あそび]、三々九[さんさんく]の手夾[たばさ]み・八的等[やつまととう]の曲節[きょくせつ]……
(※以上図1部分の翻字, [ ]内は振り仮名)
とあって、弓矢の勝負です。具体的に何をどのように競い合ったのかということは、注釈につかなければわかりません。おそらく、江戸時代の人々にもよく分からなかったのではないかと思われます。すでに江戸時代に、『庭訓往来』の注釈や絵入りの本が数多く出されていたことが、このことを証しています。仮に、分かったところで、実生活に役に立つということは考えにくいでしょう。農家、商家の子どもたちであれば、なおさら不必要です。
冒頭部分に限らず、『庭訓往来』全体は、任国に赴任して、田畑や農民をどのように管理したらよいか、館【やかた】の造作はどのようにするのか、どのような職人や商人を呼び寄せて市場をつくるのか、あるいは貴人の接待、賊徒追討、裁判の進め方、仏事の次第など、いずれも領主かそれに準ずる立場から書かれています。本来は、庶民階層には無縁なことばかりです。
それでは、なぜ『庭訓往来』は、長い間、また幅広い階層に支持されたのでしょうか。
今のところ説明されているのは、総合的な内容を含むものであったということです。読むこと・書くこと・綴【つづ】ること、また、百科的知識や書札礼【しょさつれい】、社会生活上の礼儀・礼法、さらには、社会全体の有り様(さまざまな身分階層、職業、各々の生活など)……これらが分化せずに載せられているところに意味があったと考えられています。百科的知識には、穀物や果樹、さまざまな器物や工具類、各地の特産品、諸職人などが羅列されていますから、身分にかかわらず、誰が知っていてもよい内容でした。特に衣食に関する語彙が多い点や、「農・工・商」あるいは「百工・諸商・諸芸の者」に関する語彙が往来物史上初めて取り入れられた点で、生活本意の庶民的なものであったと言えるのでしょう(『日本教科書大系』「往来編」第3巻参照)。